志賀直哉の作品「城の崎にて」一九一七(大正六)年は、その無駄のない文体が多くの評者によって賞賛されてきた。また、戦後、高等学校の国語教科書の教材に採択されたこともあり、今日でも広く人口に膾炙しており、研究も多い。
ただ、作品の冒頭近く、列車事故に遭った語り手が九死に一生を得て助かったことと対比する形で出てくるロード・クライヴのエピソードの意味については、これまでほとんど注目されてこなかった。しかし、この引用には、ほんの数行でありながら当時の読者には喚起させる多くの情報が詰まっており、そうした時代のコンテキストを明らかにすることにより、作品「城の崎にて」の新たな読みの可能性が見いだせるのではないだろうか。
本稿では、まず「城の崎にて」発表当時の時代背景に遡り、英語教科書の教材としてLord Cliveが採用されていた意味を考察する。次に、「城の崎にて」のテキストの構造や草稿からの改稿過程の分析を通して、「私」の心境の流れを読み解いていく。
これらの考察を通して、ロード・クライヴのエピソードが単なる導入的付属物ではなく、無駄のない「城の崎にて」の文体及びテキストの構造の一部として重要な意味を持って組み込まれており、この作品が当時のコンテキストにおいて時代的な批評性を秘めていたことを明らかにする。