井原西鶴編の絵入り道中記『一目玉鉾』の研究は十分進んでいないが、彼が参照した文献は先学によって明らかにされている。その成果を生かし、『一目玉鉾』中の下関に関わる記事について考察した。西鶴は『西海陸細見図』『諸国案内旅雀』『名所方角抄』『類字名所和歌集』など先学指摘の文献を用いて下関の記事を綴る。しかし、それらに見えない地名は「海瀕舟行図」に発見されることがわかった。これを西鶴は直接見ずに、そこに記録された地名を西海航路に通じた人間から得た可能性が高い。また聞きなれない下関の地名や名物に関わる誤伝も、伝聞によって得たと推定できる。以上からすれば、彼が直接下関を訪れた経験を生かして書いた記事とは考え難い。