本稿は、人間の「生」と「死」の二つの出会いの次元をキリスト教の信仰に基づいてその位置付けを改めて確認する研究である。現代の日本の超高齢社会に生きる我々の置かれている状況のなかで、どのように「死」の問題を意識し、そこでどのような「生」の問題を見出したら良いのかを考える。また、現代神学者F.X. デュルウェル(F.X.Durrwell)のキリスト者として「キリストと共に死に、キリストと共に生きる」について解釈する。さらに、日本における「死への準備教育」は可能なのかについて「死生学(Thanatolog)」の視点から探りながら、キリスト者として「終活」と呼ばれている死を全うする心構えを養うことを目的とする。