前ソクラテス期の哲学者エンペドクレスは,人間の精神活動に関する叙述の中で,古代ギリシアにおいて心という意味を持つ「φρήν(フレーン)」という用語を使用している。心の語義から推すならば,「フレーン」と思惟性や生命性との間には,何らかの関連性があると想定される。本稿は,1.エンペドクレスにおける「フレーン」についての検討を通して,「フレーン」が思惟性や生命性を担うということを示すこと,2.「フレーン」を有するもの,すなわち,思惟性と生命性の範疇を規定すること,を目的とする。
1.「フレーン」の機能としては,「思惟する」という機能を挙げることができる。「思惟する」という機能を有する「フレーン」は,また,人間の思惟の座であるとも考えられる。このことは,その機能が叙述される際に,「φρεσί」と与格変化形で用いられていることから示唆されている。「フレーン」の性質としては,「学ぶこと」によって成長し,「欺き」によって衰退するという可変性,感覚によっては認識できないという非感覚性を挙げることができる。本稿においては,「フレーン」を四根の混合を促す作用因である愛と解釈する。愛が「フレーン」と同様に,「思惟する」という機能,および可変性,非感覚性という性質を有するということをエンペドクレスの断片中から窺うことができるからである。
2.「フレーン」が愛であるとなれば,思惟の変化や生命体の生成消滅は,作用因である愛の影響度によって決定されるといえるであろう。また,思惟性と生命性の範疇は,少なくとも愛を内在するものに限られるであろう。思惟性と生命性の具体的な範疇は,「πάντα(パンタ・すべてのものら)」という用語の使用法を見るならば,生命体までに限定されていると考えられる。このことは,愛が常にフレーンとして存するのではなく,「フレーン」として顕現するための基盤を必要とすることを意味している。