韓国、台湾は、国家主導型経済開発のなかで類似する「工業化プロセス」をたどりながら高い経済成長を遂げた。当時の国際環境も影響し、資本蓄積資金の調達、技術の導入・開発、労働力育成、商品市場確保のいずれにおいても極端な米・日偏重のなかでの経済開発であった。それは、(1)米国の国際戦略の一環である援助依存開発期としての第一段階、(2)米国に加え、日本が高度成長の帰結として韓国、台湾へ進出する米・日依存の第二段階、そして、(3)韓国、台湾が自らの資本蓄積を増大させ、企業の海外進出、資本の海外移転を図りはじめて今日に至る時期、いわば独自の展開をはじめる自立期としての第三段階、の三つに分類される。第一段階は世界的なドル不足の時代であり、資本蓄積資金調達のためには台湾のように外貨を節約する輸入代替産業の育成を行なうか、韓国のようにほとんど最初から外貨を獲得する輸出産業を育成するかの選択であった。第二段階はそれぞれが輸出指向型工業化と同時に重化学工業を含めたフルセット型産業構造を目指して走り、これが大幅な資本蓄積資金の需要をもたらした。幸い金融環境に恵まれ、世界的なドル余剰期に相当したためその資金調達を容易にした。第三段階はそれぞれが高度技術集積・資本集約型工業化を目指す中で産業構造の調整に直面する。韓国は財閥経営の機能鈍化であり、台湾は中小企業方式の限界に突き当たる。いわば韓国の台湾化、台湾の韓国化が求められる。このように考えると、産業の健全な発展のためにはその資金需要を満たす金融機能の健全な発展が不可欠であることが分かる。韓国、台湾の二つの事例はそのことを示す恰好の材料を提供してくれる。しかし、何よりも重要なことは経済開発における開発理念であろう。韓国の直接統治型開発と台湾の間接統治型開発は単に外見的なものではなく、為政者の思想やそれぞれのおかれた初期条件や社会的背景の相違に起因した。それが故に、類似した「工業化プロセス」をたどりながら開発の具体的施策や政策手法において明らかな差異につながった。それにしても教育は開発の成否を決定的にするといわざるを得ない。経済開発は人間が行なうものだからである。